湘南電鉄本線の起点は関内であるが、線路自体は横浜市営地下鉄1号線の横浜・新横浜・あざみ野方面と直結している。
ちょうど渋谷における東京メトロ半蔵門線と東急田園都市線の関係に等しいが、この関内では、さらに本牧、山下町方面に向かう路線も分岐している。
関内から弘明寺までは、鎌倉街道の直下を地下線で進む。
この区間は、かつて鎌倉街道の路上を走っていた横浜市電の代替路線でもある。
伊勢佐木、阪東橋と横浜の中心地を過ぎ、急行待避が可能な吉野町に到着。東急田園都市線の桜新町のように、この駅を通過する電車は乗客の目に触れることなく壁の反対側の通過線を通過する。
蒔田、弘明寺を過ぎると線路は地上に出て、上大岡に到着。京急線の駅とは鎌倉街道を挟んで立地しており、駅界隈は人通りも多くにぎやかである。
上大岡を出発すると、京急線が高架線で南下するのを横目に、湘南電鉄線は多摩丘陵の南端の谷戸を縫って関の下、吉原、日野、小菅ヶ谷の各駅を経由しつつ公田(くでん)へ向かう。途中、吉原・日野間で頭上を横横道路の高架橋が横切る。
公田で鎌倉街道と別れ、笠間を抜けると、線路は築堤を駆け上がりJR各線の北側に回り込み、電車は大船に入線。
これより先、JR東海道本線と湘南電鉄はつかず離れず小田原を目指すが、同一駅で乗換えができるのはこの大船のみであるため、駅構内は終日に渡ってJRと湘南電鉄を乗り換える客でごった返している。
大船を過ぎると、東海道本線と東海道の間を西進し、電化前に至る。電気鉄道なのに電化前とはこれいかにと思われるが、その正体は電気化学工業の請願により設けられた駅である。
電化前を出ると、戦国時代、後北条氏の守りの要とされた玉縄城があった丘の麓を巻くように西へ向かい、短いトンネルを抜け弥勒寺に到着。ここには弥勒寺検車区及び弥勒寺工場が併設されており、電車の安全運行の重責を担っている。
弥勒寺からさらにトンネルを2つ抜けると、JR・小田急の藤沢とは独立した電鉄藤沢に到着。JR・小田急の藤沢駅とは駅前広場を経由して徒歩5分ぐらいの場所にある。 また、湘南電鉄と江ノ電の藤沢駅は、JR・小田急を挟んで正反対の位置にあるため、少し歩く必要がある。
小田急江ノ島線がトラス橋で頭上を越えると神明に到着。ここから湘南電鉄線は旧東海道沿いをさらに西進し、羽鳥を発車後、大山街道と松林の間で旧東海道の北側へ出る。この旧東海道を横切る踏切は、渋滞の温床として悪名高い。
本村(ほんそん)を発車後、JR相模線が頭上を横切ると、電車は高架線を駆け上がり、高架駅となった電鉄茅ヶ崎に到着。
JRの茅ヶ崎とは東海道及び駅前ロータリーを挟んで向かい合っている。たとえるのであれば、JR船橋と京成船橋のような関係である。
かつては駅に乗り入れるバス・タクシーと湘南電鉄の踏切のせいで終日渋滞していた駅前の交差点も、湘南電鉄の高架化により、幾分か渋滞が解消された。
茅ヶ崎を出ると左富士という駅を過ぎる。
開業当初は田畑が広がり、文字通り進行方向左手の窓から富士山が見えたが、市街地化著しい近年では、流麗な富士の姿もマンションの陰へと消えた。
中島で、寒川や海老名へ通じる産業道路がアンダーパスしていくのを横目に見ると、電車は相模川を渡る。
かつて源頼朝が、この界隈にあった橋の完成式からの帰路に落馬したという故事から、この辺りの相模川は「馬入川(ばにゅうがわ)」の通称で呼ばれる。
橋を渡ると、その馬入の名を冠した馬入橋を通過。そのまま線路は平塚の街の北側に回り、電鉄平塚に到着。
この電鉄平塚駅とJR平塚駅の連絡は徒歩で15から20分ほどかかるため、両駅を結ぶワンコインバスが10分おきに走っている。このワンコインバスは、電鉄平塚駅を出ると、厚木や伊勢原に向かう路線バスとなる。
平塚の宿場の中心地だった本宿を経由し、花水川を渡り花水橋を過ぎた辺りで、線路は湘南平の南側の狭窄地域を走りはじめる。
ここは海岸から湘南平の麓までの幅約2kmの狭い地域に、東海道本線、湘南電鉄本線、国道1号線、西湘バイパスが輻輳している交通の難所である。湘南電鉄は築堤で南西に進路を取ると、東海道本線と国道1号線を跨ぎ越して一気に海沿いに出る。そして、湘南電鉄と交替するかのように、これまで一番海側を走っていた西湘バイパスが湘南電鉄の頭上を越え、山側に追いやられる。
大磯を出ると線路の右側に巨大なプールとホテルが見える。
大磯ロングビーチとプリンスホテルであるが、東急系と西武系の遺恨からか駅は設置されず、電車はプールの歓声にわき目もくれずそのまま通り過ぎる。
万葉集にも詠まれた由緒ある淘綾の浜(よろぎのはま)界隈では、車窓左手には雄大な相模湾が広がり、正面には箱根や富士の山々が見える。この辺りが湘南電鉄の一番の見所でもある。
淘綾の浜を過ぎると、西湘バイパスが山側からやってきて海側に躍り出て、電車の車窓に広がっていた海を奪ってしまうが、沿線や車内には潮の香りが漂う。
この先、国府本郷、国府新宿と、律令制の時代の郡衙(ぐんが)に由来する「国府」の名称を冠する駅が続き、 線路は大磯丘陵と相模湾の狭いすき間を縫うように伸びている。
現代においてもなお、交通が輻輳するような海と山に挟まれた土地に国府を置くのは、国の統治を行う上では理にかなっていると思うと妙に首肯できるものがある。
電車は国府本郷を出ると、東海道を踏切で横切り、国府津まで東海道本線の南側をしばし走行する。大船から延々と併走してきた両者が、お互いを直視できる数少ない区間である。
二宮は、駅名だけを見るといかにもJRの二宮と隣接していそうであるが、実際には200mほど離れており、連絡運輸も行われていない。
押切橋で中村川という小さな川を越えると、地形はますます狭隘の度を深める。東海道と東海道本線に挟まれるように走ってきた湘南電鉄の線路は、前川の手前で行く手を両者に阻まれ、たまらず東海道の南側へと逃げる。この辺りも東海道の渋滞の温床として、しばしばドライバーから槍玉に上がる。
再び踏切で東海道の北側に取って返すと、電車は電鉄国府津に滑り込む。JR国府津の目の前であるが、東海道線と御殿場線を分ける要衝たるJR駅とは異なり、湘南電鉄の国府津駅は相対式2面2線のこじんまりとした駅である。
国府津を出ると、御殿場線は函嶺越えのため北西へ向かい、東海道本線は酒匂川が形成した足柄平野を貫かんと真西に向かうが、湘南電鉄線は東海道沿いの集落を拾うために南西へ向かう。小八幡、酒匂と小駅が続くと、電車は酒匂川を渡る。
このあたりはかつて小田原馬車鉄道が走っていたが、大正半ばに省線及び湘南電鉄が開業すると、歴史のかなたへと消え去った。
酒匂川を渡り、山王原、新玉と市街地の小駅を拾うと、ほどなく終点の小田原。ホームは2面3線の頭端式となっており、ターミナルの風格がある。
湘南電鉄の小田原駅は、ちょうど姫路における山陽姫路駅のように、JR・小田急・箱根登山鉄道・伊豆箱根鉄道の小田原駅とは独立しており、地下道や歩道橋、駅前ロータリーを介して接続している。